月下の…

ルミエミュサロの登場し、月下の蘭の楽曲に乗せて大変艶やかなタンゴを披露した謎の美女と二人の美しい青年を裏社会ボス(?)の美女と彼女が飼う二匹の犬という架空のふんわりした設定で書いた架空のモブによる架空の行間です。

そう、つまり、すべて、あまりにも、幻覚です。

季節外れの梅雨みたく降り続いた大雨がようやく上がり、濡れた石畳に太陽が反射していつもより眩しい朝であった。

 

駅の近くにあるカフェテリアのテラス席で朝食を摂るという日課を雨に阻まれていた私は3日ぶりに店へと足を運んだ。

朝早くから夜遅くまでやっているのが売りのこの店はよくあるパン屋を兼ねたフランチャイズのカフェで、特別なものは何もないが客の回転が早くいつ行っても席が空いているのが良い。

ここのクロワッサンとコーヒーのモーニングセットを食べないとなんとなく一日が始まらないようで居心地が悪いのだ。

 

朝食を乗せたトレーを持ってやって来た歩道沿いのテラス席はたった数日来てないだけでやけに久しく感じた。屋根はあるものの連日の雨でよく冷えたその場所は比較的混み合っている店内とは別世界のように誰もいなかった。

暖房の空気が漏れてくる出入口近くの席に上着とマフラーを身に付けたままに腰かけ、熱いコーヒーを流し込むと生き返ったように体が温まった。

ほっと息をつくと視界の端に見慣れない赤い色彩がちらついた。先ほどは気づかなかったがどうやら私以外にもこの雨上がりの寒空の下で朝を過ごす者がいたらしい。

私の席から二つ離れた歩道に最も近い場所、普段なら目にも止めないような端の席にその女性は座っていた。普段なら、と言ったのは鮮やかな色につられ顔を向けた瞬間そこから目を離せなくなってしまったからだ。

肩で揺れる綺麗に巻かれたブロンドヘア、細くしなやかな身体にぴったりと纏った真っ赤なドレス。このありふれたカフェテリアには似つかわしくないクラクラするような赤と金のコントラスト。しかしその派手な出で立ち以上に一際目を引いたのは子猫のように愛らしい顔からこぼれ落ちそうに光る大きな瞳だった。

 

羽根で作られた扇を思わせる長い睫毛の下、肌馴染みの良い淡い紫色のアイシャドウに縁取られてアンニュイに甘く垂れた目元は酸いも甘いも噛み分けた大人の女の色気を放ち、同時にまだ何も知らない退屈な少女のようでもあった。 

彼女は道路を挟んだ向かいのビルをつまらなさそうに見つめていた。しかし真っ赤なビロードの手袋を嵌めた長い指先で行儀よく手にしたコーヒーカップを気だるげに口元に近づける仕草、物憂げな眼差しは目の前にいるはずなのにまるで映画のワンシーンを見ているかのような非現実的な美しさを称えていた。

思わず見惚れてしまっていた無遠慮な私の視線に気がついた彼女はこちらにチラリと一瞥をくれ、不快感を示すでもなく睫毛を伏せてほとんどまばたきだけの浅い会釈を交わして再びビルの方へと顔を向けた。

 

「さ、寒い朝ですね」

会釈を返そうと思ったが既に彼女がこちらを見ていないので仕方なく…と自分に言い訳しながら声をかける。無視されたらその時はその時だ。

「ええ、本当に」

向こうを眺めたまま表情一つ変えず彼女は相槌を打った。肯定してくれた割に厚い毛皮のコートは背もたれにかけられたままで寒そうな素振りは全くなかったが、それでも返事をくれたことが嬉しかった。

 

「ここには良くいらしてるんですが」

「たまに来ますわ」

「いつもお一人で?」

「…犬の散歩がてら」

「犬、ですか」

確かにここのテラス席はペット同伴が可能だったはずだが周囲に犬は見当たらない。外に繋いでいるのだろうか。

「犬達がここのクロワッサンを気に入っていますの」

彼女は私の皿の上に置かれたそれを目線で示しながら言った。人形のように起伏を欠いた表情がほんの少し微笑んだように見えた。

「それはまた…」

変わった犬ですね。

そう続けようとした言葉を遮るように二人の若い男が私と彼女の間にやって来た。

ベロア地の赤紫のスーツを来た二人組は私に目もくれず彼女の方に早足で近づいていった。突然のことに驚く私をよそに彼女は寛いだ様子で二人を見上げてコーヒーをすすっている。どうやら知り合いのようだ。

 

一人はチョコレート色の髪をした青年で、小柄な体格だが精悍なシェパードのような顔立ちをしていた。彼が身を屈め彼女に耳打ちをすると彼女は少し厳しい表情なった。もう一人の黒髪の青年は大柄だが柔和な雰囲気で、姿勢よく立ち二人のやり取りを見守っていた。片手にはこの店のパンのテイクアウト用の大きな紙袋を抱えている。

 

こちらには聞こえない程の小声で二人の青年となにかやり取りをした彼女はスッと立ち上がった。同時に茶髪の青年が椅子の後ろにかかったコートを手に取り袖を彼女に通す。まるで踊り慣れたダンスのように自然な所作だ。

 

私の方を向き先程と同じようにまばたきだけの会釈をして彼女は出口へと歩いていった。高いヒールを履いているのに不思議と足音はしなかった。

後ろに従えた二人の青年のうち黒髪の方の青年は迷惑そうな目で私を見ていたが彼女に倣ってぺこりとこちらに頭を下げた。茶髪の青年は先頭を歩く彼女の方を見据えたままでまるで私などここに存在しないかのように素通りしていった。

 

あれから何度かあの日と同じテラス席で彼女を見かけることがあった。相変わらず彼女は映画女優のように美しく退屈そうに外のビルを見つめていたが、傍らには必ず二人の青年のうちどちらかが、もしくはどちらもが私に背を向け壁を作るように座っておりとても声をかけられるような雰囲気ではなかった。部下かボディーガードなのだろうが私が良く思われていないことは確かだった。

 

店の向かいのビルのオーナーが不審死で発見されたニュースが流れたのはもう上着が必要でなくなりはじめた季節である。

いつも眺めていた景色の中でそんな恐ろしい事件があって彼女はさぞショックだったのだろう。それ以来あの三人が店に訪れることはなかった。

話など出来なくてもそこにいるだけで色香を纏わせ凛と咲く蘭の花のような姿を見られなくなるのはとても残念に感じた。

 

そういえば彼女がいつも散歩に連れていたはずのクロワッサンが好きな犬はついに一度も見ることがなかった。

 

 

おわり

カフェでモブおじが話しかけてくるの気持ち悪すぎて書きながら蕁麻疹が出ました。投獄されて欲しい。

愛し恋しの大家さん

愛し恋しの大家さん

まるでひょんなことから転がり住んだアパートの大家さん(坂口健太郎みたいな透明感のある美青年)とほのぼのとした日常を送りながら距離が縮まっていく逆めぞん一刻的な素敵な恋愛エッセイでも始まりそうなタイトルになってしまったがそういう話ではない。申し訳ないがこの先健太郎は出てこない。

ではどの大家さんが愛し恋しいのかといえば、そう、ハドスン夫人である。

ハドスン夫人といえば、そう、シャーロック・ホームズの住むアパート221Bの大家さんである。
恐らく世界一有名な大家さんなので詳細は省く。

シャーロック・ホームズといえば小説だけでなく映画、ドラマ、漫画など世界中に数多のパスティーシュ作品が存在する。
この記事では宝塚歌劇団宙組公演「シャーロック・ホームズ The Game Is Afoot! ~サー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~」の登場人物であるハドスン夫人にフォーカスしたい。

それにしても「シャーロック・ホームズ The Game Is Afoot! ~サー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~」ってタイトル、長すぎないはしないだろうか。字数制限の都合上Twitterとかでフルネームで呼ぶのをためらう長さだ。タイプするのも面倒くさい。

しかしタイトルの長さを差し引いても宝塚宙組版のシャーロック・ホームズ(以降宙組ホームズと記載する)はとても面白い作品であった。
演出家の生田先生がシャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家のこと)らしく、原作から細かなネタを拾いつつも舞台の大筋は宿敵モリアーティとの対決とアイリーン・アドラーとの恋模様に焦点を絞っており、ホームズ初心者にはわかりやすく、ホームズ上級者はディティールを楽しめるという仕掛けだ。

私はシャーロック・ホームズに関しては原作未読、ガイリッチー版の映画二本とBBC版ドラマをシーズン3の真ん中あたりまで観た程度、というかなり中途半端な前知識しかなくほとんど初心者側の目線で観劇したがそれはそれは楽しく観劇した。

Twitterアカウントをフォローしてくださっている方ならご存知かもしれないが私は2.5次元の二次創作を趣味としており、宙組ホームズの二次創作は約80点ほど描いたようである(無意識)。さすがに自分でもどうかしていると思う。

テンポの良いストーリー、ありえん完成度のキャラデザの登場人物達と完璧としか言いようのないキャスティング、ダークな世界観と対比的に思わず笑顔になるアドリブ、そしてあの余韻の残るラスト…こんなんもうお手上げである。
オタクがオタクにしか出せない熱量で作るものはいつだって私たちオタクの胸を打つ(生田先生をオタク呼ばわりすな)

今はようやく原作をちまちまと読みながら「最"高"~~~!!」と大の字になったりしている。
言うまでもない話だがそもそも原作がめちゃくちゃ面白いのだ。伊達に100年前から世界トップクラスのベストセラーをやってない。

いつもの如く前置きが長くなってしまったがここからが宙組ホームズのハドスン夫人の話である。

宙組ホームズの彼女は原作と同じく主人公シャーロック・ホームズの住む221Bの大家さんをしている。
夫人というものの配偶者は気配すらなく、宿屋の主人のおかみさんというよりは宿屋を切り盛りする女主人として芯の強さを感じる女性である。

そんな素敵なハドスン夫人の私が考える魅力について厳選に厳選を重ねて3つの点に要約してみた。これから一つ一つ話していこうと思う。夜が明けるまでどうか付き合って欲しい。

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ハドスン夫人のここが最高!
その①「超絶かわいい」

いきなり語彙が全て溶けてしまった後のオタクかよ。

チェック柄のリボンタイのついたブラウンカラーのワンピースに白いエプロンがトレードマーク。明るすぎない茶髪は後ろでさっぱりとまとめ、アパートの大家という役柄に相応しく華美ではない、というかむしろかなり地味な部類のお衣装である。

なのに、超絶かわいい。

そんなもん中の人が宙組が誇る初恋美少女、遥羽ららさんなんだから空が青いレベルの常識だろうがこのペラペラ野郎という声が飛んできそうだ。

それもある。いや大いにある。
確かにハドスン夫人の可愛さはほとんど中の人の可愛さに依存したものなのだが、そんなに単純な話ではない。

何故なら彼女は恋人でも深窓の令嬢でもプリンセスでもない。大家さんだ。

宙組ホームズのハドスン夫人はこの「大家さんとしてかわいい」が天才的なさじ加減で成立している。

周知の通り美男美女ばかりで構成された宝塚歌劇においては目が合っただけで恋愛フラグが成立したりする。そう、恋愛当たり判定が世界で一番高い場所なのである。

そんな危険な場所でハドスン夫人はいくら変人探偵とはいえ顔面はハンサムの擬人化である主人公ホームズと同じ屋根の下で暮らすわけだ。いくら既婚者であっても被弾リスクが並大抵ではない。
もし私がハドスン夫人でこれが年末バラエティー「絶対に恋に落ちてはいけない221B」だったら私のケツは開始三秒でボコボコにされていただろう。

このため宝塚における女性の大家さんはかなり年上であったり家賃滞納にめちゃくちゃ厳しかったり主人公のプライベートにやたら野次馬であったりと恋愛フラグを回避したキャラクターとして作られていることが多い。

つまりハドスン夫人は超絶かわいいまま主人公とは一切スイートなムードを纏わず大家さんと手のかかる住人という関係性(たまにおかんとクソガキにも見える)を築くという離れ業をやってのけたことになる。

これはもう奇跡と言っても過言ではないだろう。

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ハドスン夫人のここが最高!
その②「唯一無二の絶対的バランサー」

宙組ホームズにおけるハドスン夫人の最も重要な役割、それはホームズに世話を焼くことでも山のような新聞を運ぶことでもパンチの強い来客を出迎えることでもない。

圧倒的な「部外者」でいることだ。

ハドスン夫人は主要キャラクターの中ではほぼ唯一事件と何の関わりもない人物である。そもそも221Bの外にいる彼女は描かれない。

主人公ホームズと宿敵モリアーティの対決。
二人のキーマンとなるアイリーン・アドラー。
相棒のワトスンとその妻メアリー。
犯罪シンジケート、スコットランドヤード、権力を持った兄達、狙われた女王。

被害者、加害者、追うもの、追われるもの、助けを求める人、助ける人…立場は様々であるが彼らはみな犯罪という鎖で出来た輪の内側にいる。

ハドスン夫人は絶対にその中に立ち入らない。

ホームズを、正義を応援こそするが協力するわけではない。アドバイスもしない。大家としての枠を越えない。

よくTwitterに「型があるからこそ型破りが出来る」というような名言が流れてきたりするが彼女こそ正にその"型"である。

ハドスン夫人が常識人ゆえにホームズの非常識が際立ち、ハドスン夫人の善良さがあるからこそモリアーティの悪が不気味に光り、ハドスン夫人の平穏な日常がアイリーン・アドラーの悲劇的な人生の輪郭を浮かび上がらせる。

決して派手な立ち回りやドラマのあるポジションではないが、一線を越えた人々が行き交うロンドンでその一線を担う人こそハドスン夫人なのである。

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ハドスン夫人のここが最高!
その③「ホームズへの愛情がすごい」

てめぇは散々スイートなムードを纏わずとか言ってたのをもう忘れたんか??!!

いや、忘れてないです。聞いて。一回聞いて。

あの美しいハドスン夫人とホームズの関係性が大家さんと手のかかる住人でしかない、という点がこの舞台で起きた素晴らしい奇跡の一つであることは前述の通りだが、同時に「彼らには彼らなりの愛情がある」という点も特筆に値する。

恋人でも友人でも家族でもない二人の絆は直接的には描かれないもののきちんと存在している。

ホームズは劇中で221Bについて「この部屋こそ 僕の頭の中そのもの」と歌う。

まずは頭の中で銃弾をぶっ放すなと言いたいが、あの犯罪捜査のプロフェッショナルで警戒心の塊みたいなホームズが頭の中を丸ごとさらけ出せるような場所として221Bを選んだことにはハドスン夫人に対する厚い信頼を感じる。

賢すぎるが故に打算的になりがちで友人もワトスンくんしかいないような不器用なホームズにとって信頼とは最大級の好意的な感情ではないかと思う。

まぁその後に続く歌詞で「世界中の犯罪が 此処には詰まっている」とか言っているのはどうかと思うが。賃貸に世界中の犯罪を詰め込むな。 

一方ハドスン夫人はというとホームズが上記の通り室内で銃弾をぶっ放した際には「今度は何?一体なんの騒ぎ!?」と怒鳴り込んでくる。
「今度は」というフレーズから常習的に繰り返される探偵の奇行に心底うんざりしている様子が滲み出いる。本当にお疲れ様です。

「ここを出て行く時には全部元通りにしてもらいますからね!」

そう言って怒りながら彼女は出ていくのだが(ちなみに怒っているハドスン夫人もかわいい)、この台詞は実は物語終盤のある台詞に繋がっている。

モリアーティとの激闘の末、ともに滝壺へと消えていき命を落とした(とされている)ホームズの葬式で、彼の兄であるマイクロフトがハドスン夫人に221Bを引き続き貸して欲しいとお願いをする。弟は生きている、いつでも帰ってこれるように、と。

もちろんマイクロフトは弟が横穴に転がり込んでマジでピンピンしてることを既に知っているからこそ頼んだのだろうが、その他の人にとっては「彼は私たちの心に永遠に生き続けている」という故人の美談あるあるとして受け取られている。

にも関わらずハドスン夫人は「ええ、あの人が生きている時のままにしますわ」と返す。
部屋を出るときは何もかも元通りにしてもらうと息巻いていた彼女が、である。

私はこの伏線回収に観劇して随分経ってから気づいた。
散らかった、だけどそこには誰もいないホームズの部屋の埃を静かに払うハドスンさんのことを想いその深い愛情に涙が出そうになった。

まさに大家さんと住人という立場でしか成立しない奇跡のような愛のかたちである。

ホームズが飄々と帰ってきたあかつきにはしっかりとその愛情のこもった拳でホームズをぶん殴って欲しいといつも心から思っている。
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以上、ほんの一部であるがハドスン夫人の魅力について語らせていただいた。
話せば話すほど彼女の可憐さ、清廉さ、愛情深さには驚かされる。

もちろん原作のハドスン夫人も大好きなのでゆっくりと読み進めながらこれから更に解像度が上がっていくことを楽しみにしている。

けんじへ

※健司の架空の父親からの手紙です。

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健司、元気でやってっか?

お前が映画監督になるんだってうち飛び出して東京に行って何年経つかな。

あん時はこっちで教師やってる兄ちゃんと比べたりしてさ、今思えば口先でお前のプライド傷つけて本当に悪かった。
これは言い訳だが"東京"も"映画"も俺らの町ではなんだかハイカラすぎてよその国の言葉みてぇだろ。だからお前が違う世界に行ってしまう気がして寂しくてたまらなかったんだ。

バカみてぇだろ、どこに行ったって健司は俺らの大事な家族だってのにな。

でもどんなに引き止めたって無駄だってわかってたよ。
お前は家でも学校でも誰よりも大人しかったのに一度こうだと決めたことは絶対に諦めない奴だった。
そういうところは俺にソックリで、お前とぶつかる度に嬉しくなっちまうんだよ俺は。本当だよ。

だから健司が監督デビューしたって話を聞いたときも俺は死ぬほど喜びはしたが全く驚かなかった。

だってお前がいつか夢を叶えるって事を俺は知ってたからな。「遂にその日が来たのか…」なんてカッコつけて言ってさ。母ちゃん笑ってたよ。

東京の公開日からえらく遅れたけど先週やっとこっちでも封切りになったんだ。
隣町の映画館まで母ちゃんと兄ちゃんと観に行ってきた。みんなで一張羅着て張り切ってさ。

上映が終わったあと三人ともしばらく立てなかった。母ちゃんも兄ちゃんもハンカチで顔を覆っちまって葬式みたいに泣いてたよ。なんだ?俺は泣いてねぇよ。

あのうだつの上がらねぇ主人公は健司、お前だろ。すぐわかったよ。
東京行ってどんな生活してるかも知れないお前をスクリーン越しに見守ってる気分になったな。
俺が普段あんまり観ねぇ幻想的なラブストーリー(って母ちゃんが呼んでたよ)だったけど血の通ったあったけぇ話だった。

お世辞じゃなく良かったよ。誇らしいや。

けどお前は怒るかもしれねぇがよ、あの映画はお前よりお相手の不思議な美人の方が魅力的だったぜ。
お前のレンズを通して俺もあの子にゾッコンになったみてぇだった。母ちゃんには内緒だからな。

そういえば昔にお前とも一度だけあの隣町の映画館に行ったよな。
題名は忘れちまったがなかなか面白い映画だった。じゃじゃ馬の姫様が動物達を家来にして大暴れする話だっけ。

映画が終わった後にお前が珍しくでっけぇ声で「初めて本物のお姫様を見た!」って叫んだの覚えてるか?
確かにあんな綺麗な人は母ちゃん以外で見たことねぇなって俺が言ったらお前は不思議そうな顔してたな。

お前の映画を観てたらなんだか急にあの映画を思い出した。

健司はあの映画の題名を覚えてるか?知ってるなら今度教えてくれ。
あの時二人で観たお前のお姫様に無性に会いたくなっちまったからな、中古屋でビデオテープでも探してみるよ。

飯だけはしっかり食えよ。風邪も引くな。

映画館でいつでもお前に会えるけど、それでもたまには帰ってこいよ。

父ちゃんより

OREPETE2021

君は俺のペテルブルグを聞いたか。


俺のペテルブルグ、俺ペテ、マイペテ、マペ、マ…
呼び方は諸説あるが、どれも2020年に上演された宝塚歌劇団宙組公演「アナスタシア」の劇中歌のことだ。

舞台「アナスタシア」はロシア革命によって命を落としたロマノフ家の最後の生き残りと言われる末娘アナスタシアを巡る"アナスタシア伝説"を題材に作られたミュージカル作品で、詐欺師の青年ディミトリとアナスタシアによく似た記憶喪失の少女アーニャの愛と冒険の物語だ。

ピュアなラブストーリーであると同時に、アナスタシアの生存を信じずにはいられない祖母のマリア皇后やロマノフ家殺害の際に彼女を取り逃がしたことを責め続けて死んだ軍人の息子グレブさんなど、アナスタシア伝説によって運命が良くも悪くも狂わされた人々の人生が交差していく群像劇でもある。

まるでオルゴールの箱の中のような美しく幻想的な舞台でロシアからパリへ、現在から過去へ、過去から未来へと本当の自分を見つけに行く彼らの旅路。
当時コロナ禍で今以上に先が見えず閉塞していた私に温かな光を灯してくれた宝物のような作品である。

で、俺のペテルブルグだ。

この曲では幼くして両親を亡くし、いわゆるストリートチルドレンとしてたった一人で生きてきた主人公ディミトリが自身が育った街ペテルブルグについて歌っている。

私はこの曲を聞くたびにたまらない気持ちになる。
リアルに三回に一回くらいの頻度で泣く。

中の人は泣く子も黙って恋に落ちるハンサムトップスター真風さんなのでディミトリもそれはそれは大人の魅力に溢れる美しい青年であるが、俺ペテを歌っているときだけは壊れそうなほど繊細で純粋な少年そのものになるのだ。
靴のヒールを入れると180㎝を超えるほどの長身も何故か100㎝くらいに見える。

明日もあるかわからないロシアの路地裏で、がむしゃらに生きた幼い少年ディマ(ディミトリの父親は彼をディマと呼んでいたらしい)(赤の他人だが私も便乗してディマと呼んでいる)の絶望と希望の入り混じるこのナンバーを聞いた人間は皆涙を流しながら我こそはディミトリの母親だ、父親だ、祖父母だと立候補してしまう※のだ
※個人差があります

前置きが長くなったが今回はそんな名曲、俺のペテルブルグの歌詞についてあまりにも言いたいことが多いのでこうしてわざわざはてブをダウンロードした次第である。
歌詞の一語一句に私の想いを吐露していこうと思う。
もう誰も読んでないと思うけど今からエンジンかけるのでよろしくお願い致します。

※これ以降便宜上ディミトリのことをディマと呼ばせていただいております
※すべて一個人の感想になります

それでは早速聞いていきましょう

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「ずるく生きた ペテルブルグの路地裏で 悪知恵つかい ペテルブルグを駆け抜けた」

ずるくないよ!!!!!???!???!(120デシベル)

いやもう一行目から飛行機の騒音レベルのシャウトが必要になるとは思わなかった。ずるく?ないよ??
冬は気温がマイナスを優に下回るペテルブルグで家もない痩せっぽちの少年が歩んだのはひたすら飢えと貧困と戦う日々だったはずだ。彼を生かしていたものはずるさではなく純粋な生存本能だ。
それは悪知恵ではなく生活に必要な知恵だ。私たちが電子レンジで時短料理をするのとなんら変わらない。(追記:なぜか家庭の知恵と比較してしまったがディマの方が五億倍切実だろうと後から気づいた。すみません)
ずるいっていうのは勤務中にトイレで居眠りしたり、外回りの仕事中にコンビニでアイスを買い食いするような大人のことでありディマではないのである。どうかわかって欲しい。

「取引持ちかけ パンを盗み 抜け目のない切れ者さ」

まずここでも大きな勘違いが発生している。ロシアの宝石であるディマと取引をするというのはそれだけで価値が発生する。パンはささやかながら支払われたその対価であるので盗みなどという言葉は出てこないわけだ。
切れ者さ、に至ってはどや顔で自分の頭をトントンと指差しておりこんな赤ちゃんがどうして保護されていないのか首をかしげたくなる。ジャイアントパンダくらい大切にして欲しい。

「ロシアのねずみは賢くなけりゃ 死ぬだけ」

__ディマは死なないわ。私が守るもの__
綾波レイもそう言っている。私もそうだそうだと言っています。

ディマはどこか皮肉混じりに陽気に歌っているが、人を欺き食糧を盗まないと当たり前に死が待っていた人生はあまりにも重い。それに自分をなんの迷いもなくねずみに例えるあたりに本来幼少期に健やかに育まれるべきだった自己肯定感の欠如を感じて悲しくなってしまう。ロシアのブルーアイズホワイトドラゴンくらい自称してもお釣りがくるのに。

「負けるもんか 叫びながら 俺は一人生きた 俺のこの街で」

無理。本当にここだけは文字だけでも無理。目からホームズとモリアーティが落ちてくるレベルの滝が流れてくる。悪いけどお風呂場行ってバスタオル持ってきて貰える?

「ようこそ俺のペテルブルグへ! 来いよアーニャ」

間奏のルンルンでスーパーかわいいディマのターンありがたい…。スコールのような涙を流した後の束の間虹といったところだ。

「見えるだろう 街の隅から隅まで あの桟橋で 偽の土産を売りつけた」

ま~~~た勘違いしてる。ディマが売ってくれたらそれがたとえ石ころでもダイヤモンドなのに。ロシアのねずみは賢いんじゃなかったのかよ。しっかりしてくれよ。

「宮殿見上げて 路地を行く 街の全て 俺のもの」

その通りだよ!!!よく気づいたね!!!!
全部ディマのものだからね!!!!!!!!

「俺のペテルブルグ」の「俺の」は"自分が住んでいる"というより"自分が所有している"という意味合いが強くて、貧しく何も持たないディマがこの街は僕のものだと思いながらメンタルを保っていたと思うと健気すぎて膝から崩れ落ちてしまう。
豪華で立派な宮殿と狭くて暗い路地裏の明暗や、見上げるという言葉からは彼の小さな姿が伝わってくる。短い文章に込められた情景描写が悲しくも美しい。

「許せない街だ」

OK。すぐに爆破するね

「でもこの街が 好きなんだ」

ごめんさっきの嘘。世界遺産に登録するね

アンビバレンツな感情を素直にさらけ出し歌うディマが愛らしすぎて私が産んだ?って思ったしたぶんアーニャもそう思った。ここでみんなディマの一親等を自負したくなる。

「殴り、蹴られ、逃げて」

無理。辛すぎてタイプする指が震えた。
うちのディマになにしとくれとんねん。冷たい独房に永久に投獄されろ。
ディマは守り、愛でて、温かい毛布で包まれる存在なのでどうかそれだけは忘れないでね(ディマへの私信)。

「立ち向かって」

せ、成長してる~~~!!!!!😭😭😭

ここの歌詞の流れはディマの肉体的、精神的な成長を物語っており月日の経過を感じさせられる。少年時代の回想シーンは終わり、この先は現在の青年ディミトリの描写に繋がっていく。
私もこのあたりから最早母親というか祖母くらいの目線でディマを見ている。老いた。

「俺は一人生きた」

俺は一人生きたリプライズ。泣いた。
これは物語終盤のネタバレになるがディマは割と最後まで一人生きることを自ら選択してしまうところがあるので本当に心配である。
ディマがアイドルだったらディマ♡一人で生きないで♡って書いたうちわを振り回していた(ディマはアイドルではありません)

「"なんでも出来る お前次第" 親父から学んだことだ」

アナスタシアにおける裏テーマ?は父子の物語であると個人的には思っている。
父親との温かい思い出を笑顔で語るディマと父親の自責の念を苦しそうに話すグレブさんは一見対称的であるが、彼らの歪な自己肯定感や父親を愛するが故に盲目的に信じる様子はそっくりだ。

ディマとグレブさんの父親達がどのような人物であったかは知るよしもないが、二人にとって人生観を丸ごと植えつけるようなシンボリックな存在であった割には息子達に注いだ時間が余りにも短すぎる。
それは激動のロシアの最前線で戦っていた大人達には与えられなかった時間なのだとは思うが、私はディマとグレブさん依怙贔屓妖怪なので時代も含めて彼らの親にはかなり複雑な感情を抱いている。

話が逸れてしまったがディマの親父さんにはこの歌詞のような教訓をもっと長く時間をかけて息子に体現してあげて欲しかった。

「縛るものはなにもない 俺は俺のもの」

その通りだよ!!!!だからもっと自由に生きて!!!!
言葉ではわかってるんですようちのディマは賢いので…でも彼にはこれからはもっと自分を愛して自分の幸せを優先して生きて欲しい、そう祖母は思っております。

「その気になりゃ 空の果てでも行けるさ」

私が大富豪だったら自家製ジャンボ機でフライアウェイしてあげてた。悔しい。

「壁を見上げ、登れ 時が来れば飛べる」

がわいい~~~!!暴れた。
俺ペテはポップなメロディーの割につらい回想シーンが多く聞いてるこちらも胸が締めつけられるが、後半の希望が満ちた歌詞に救われる。
壮絶な生い立ちの中でも前向きな気持ちを失わないディマの奇跡のようなピュアさに両手を合わせて涙を流すしない。
ここでアーニャが寄り添うように歌ってくれるのも本当に愛しい。

「だけど今は 見て欲しい」

見るよ~~~!!600年でも1000年でも見るよ~~~!!!任せて!!!!!!!

「俺の この街を」

街をか~~~い!!!!!後出しやめて貰える!!???
ごめんそうとは知らずめちゃくちゃディマを見てたわ。ディマもさすがにこいつめっちゃ見てくるやんって気づいてそっと訂正してくれたのか。優しい…怖い思いさせてごめんね。

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モンペの語りは以上(異常)である。
母親面や祖母面をして長々と語ってしまったが私はペアレントどころか全くもって彼の人生に関わりのない赤の他人なのでモンペではなくシンプルにモンスターだということに気づいた。

ディマにはペテルブルグから遠く離れた日本の片隅にこんな巨大感情を抱きディマの幸せをひたすら祈っているモンスターがいるということを全く知らないまま好きなように生きて欲しいと願う。