愛し恋しの大家さん

愛し恋しの大家さん

まるでひょんなことから転がり住んだアパートの大家さん(坂口健太郎みたいな透明感のある美青年)とほのぼのとした日常を送りながら距離が縮まっていく逆めぞん一刻的な素敵な恋愛エッセイでも始まりそうなタイトルになってしまったがそういう話ではない。申し訳ないがこの先健太郎は出てこない。

ではどの大家さんが愛し恋しいのかといえば、そう、ハドスン夫人である。

ハドスン夫人といえば、そう、シャーロック・ホームズの住むアパート221Bの大家さんである。
恐らく世界一有名な大家さんなので詳細は省く。

シャーロック・ホームズといえば小説だけでなく映画、ドラマ、漫画など世界中に数多のパスティーシュ作品が存在する。
この記事では宝塚歌劇団宙組公演「シャーロック・ホームズ The Game Is Afoot! ~サー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~」の登場人物であるハドスン夫人にフォーカスしたい。

それにしても「シャーロック・ホームズ The Game Is Afoot! ~サー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~」ってタイトル、長すぎないはしないだろうか。字数制限の都合上Twitterとかでフルネームで呼ぶのをためらう長さだ。タイプするのも面倒くさい。

しかしタイトルの長さを差し引いても宝塚宙組版のシャーロック・ホームズ(以降宙組ホームズと記載する)はとても面白い作品であった。
演出家の生田先生がシャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家のこと)らしく、原作から細かなネタを拾いつつも舞台の大筋は宿敵モリアーティとの対決とアイリーン・アドラーとの恋模様に焦点を絞っており、ホームズ初心者にはわかりやすく、ホームズ上級者はディティールを楽しめるという仕掛けだ。

私はシャーロック・ホームズに関しては原作未読、ガイリッチー版の映画二本とBBC版ドラマをシーズン3の真ん中あたりまで観た程度、というかなり中途半端な前知識しかなくほとんど初心者側の目線で観劇したがそれはそれは楽しく観劇した。

Twitterアカウントをフォローしてくださっている方ならご存知かもしれないが私は2.5次元の二次創作を趣味としており、宙組ホームズの二次創作は約80点ほど描いたようである(無意識)。さすがに自分でもどうかしていると思う。

テンポの良いストーリー、ありえん完成度のキャラデザの登場人物達と完璧としか言いようのないキャスティング、ダークな世界観と対比的に思わず笑顔になるアドリブ、そしてあの余韻の残るラスト…こんなんもうお手上げである。
オタクがオタクにしか出せない熱量で作るものはいつだって私たちオタクの胸を打つ(生田先生をオタク呼ばわりすな)

今はようやく原作をちまちまと読みながら「最"高"~~~!!」と大の字になったりしている。
言うまでもない話だがそもそも原作がめちゃくちゃ面白いのだ。伊達に100年前から世界トップクラスのベストセラーをやってない。

いつもの如く前置きが長くなってしまったがここからが宙組ホームズのハドスン夫人の話である。

宙組ホームズの彼女は原作と同じく主人公シャーロック・ホームズの住む221Bの大家さんをしている。
夫人というものの配偶者は気配すらなく、宿屋の主人のおかみさんというよりは宿屋を切り盛りする女主人として芯の強さを感じる女性である。

そんな素敵なハドスン夫人の私が考える魅力について厳選に厳選を重ねて3つの点に要約してみた。これから一つ一つ話していこうと思う。夜が明けるまでどうか付き合って欲しい。

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ハドスン夫人のここが最高!
その①「超絶かわいい」

いきなり語彙が全て溶けてしまった後のオタクかよ。

チェック柄のリボンタイのついたブラウンカラーのワンピースに白いエプロンがトレードマーク。明るすぎない茶髪は後ろでさっぱりとまとめ、アパートの大家という役柄に相応しく華美ではない、というかむしろかなり地味な部類のお衣装である。

なのに、超絶かわいい。

そんなもん中の人が宙組が誇る初恋美少女、遥羽ららさんなんだから空が青いレベルの常識だろうがこのペラペラ野郎という声が飛んできそうだ。

それもある。いや大いにある。
確かにハドスン夫人の可愛さはほとんど中の人の可愛さに依存したものなのだが、そんなに単純な話ではない。

何故なら彼女は恋人でも深窓の令嬢でもプリンセスでもない。大家さんだ。

宙組ホームズのハドスン夫人はこの「大家さんとしてかわいい」が天才的なさじ加減で成立している。

周知の通り美男美女ばかりで構成された宝塚歌劇においては目が合っただけで恋愛フラグが成立したりする。そう、恋愛当たり判定が世界で一番高い場所なのである。

そんな危険な場所でハドスン夫人はいくら変人探偵とはいえ顔面はハンサムの擬人化である主人公ホームズと同じ屋根の下で暮らすわけだ。いくら既婚者であっても被弾リスクが並大抵ではない。
もし私がハドスン夫人でこれが年末バラエティー「絶対に恋に落ちてはいけない221B」だったら私のケツは開始三秒でボコボコにされていただろう。

このため宝塚における女性の大家さんはかなり年上であったり家賃滞納にめちゃくちゃ厳しかったり主人公のプライベートにやたら野次馬であったりと恋愛フラグを回避したキャラクターとして作られていることが多い。

つまりハドスン夫人は超絶かわいいまま主人公とは一切スイートなムードを纏わず大家さんと手のかかる住人という関係性(たまにおかんとクソガキにも見える)を築くという離れ業をやってのけたことになる。

これはもう奇跡と言っても過言ではないだろう。

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ハドスン夫人のここが最高!
その②「唯一無二の絶対的バランサー」

宙組ホームズにおけるハドスン夫人の最も重要な役割、それはホームズに世話を焼くことでも山のような新聞を運ぶことでもパンチの強い来客を出迎えることでもない。

圧倒的な「部外者」でいることだ。

ハドスン夫人は主要キャラクターの中ではほぼ唯一事件と何の関わりもない人物である。そもそも221Bの外にいる彼女は描かれない。

主人公ホームズと宿敵モリアーティの対決。
二人のキーマンとなるアイリーン・アドラー。
相棒のワトスンとその妻メアリー。
犯罪シンジケート、スコットランドヤード、権力を持った兄達、狙われた女王。

被害者、加害者、追うもの、追われるもの、助けを求める人、助ける人…立場は様々であるが彼らはみな犯罪という鎖で出来た輪の内側にいる。

ハドスン夫人は絶対にその中に立ち入らない。

ホームズを、正義を応援こそするが協力するわけではない。アドバイスもしない。大家としての枠を越えない。

よくTwitterに「型があるからこそ型破りが出来る」というような名言が流れてきたりするが彼女こそ正にその"型"である。

ハドスン夫人が常識人ゆえにホームズの非常識が際立ち、ハドスン夫人の善良さがあるからこそモリアーティの悪が不気味に光り、ハドスン夫人の平穏な日常がアイリーン・アドラーの悲劇的な人生の輪郭を浮かび上がらせる。

決して派手な立ち回りやドラマのあるポジションではないが、一線を越えた人々が行き交うロンドンでその一線を担う人こそハドスン夫人なのである。

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ハドスン夫人のここが最高!
その③「ホームズへの愛情がすごい」

てめぇは散々スイートなムードを纏わずとか言ってたのをもう忘れたんか??!!

いや、忘れてないです。聞いて。一回聞いて。

あの美しいハドスン夫人とホームズの関係性が大家さんと手のかかる住人でしかない、という点がこの舞台で起きた素晴らしい奇跡の一つであることは前述の通りだが、同時に「彼らには彼らなりの愛情がある」という点も特筆に値する。

恋人でも友人でも家族でもない二人の絆は直接的には描かれないもののきちんと存在している。

ホームズは劇中で221Bについて「この部屋こそ 僕の頭の中そのもの」と歌う。

まずは頭の中で銃弾をぶっ放すなと言いたいが、あの犯罪捜査のプロフェッショナルで警戒心の塊みたいなホームズが頭の中を丸ごとさらけ出せるような場所として221Bを選んだことにはハドスン夫人に対する厚い信頼を感じる。

賢すぎるが故に打算的になりがちで友人もワトスンくんしかいないような不器用なホームズにとって信頼とは最大級の好意的な感情ではないかと思う。

まぁその後に続く歌詞で「世界中の犯罪が 此処には詰まっている」とか言っているのはどうかと思うが。賃貸に世界中の犯罪を詰め込むな。 

一方ハドスン夫人はというとホームズが上記の通り室内で銃弾をぶっ放した際には「今度は何?一体なんの騒ぎ!?」と怒鳴り込んでくる。
「今度は」というフレーズから常習的に繰り返される探偵の奇行に心底うんざりしている様子が滲み出いる。本当にお疲れ様です。

「ここを出て行く時には全部元通りにしてもらいますからね!」

そう言って怒りながら彼女は出ていくのだが(ちなみに怒っているハドスン夫人もかわいい)、この台詞は実は物語終盤のある台詞に繋がっている。

モリアーティとの激闘の末、ともに滝壺へと消えていき命を落とした(とされている)ホームズの葬式で、彼の兄であるマイクロフトがハドスン夫人に221Bを引き続き貸して欲しいとお願いをする。弟は生きている、いつでも帰ってこれるように、と。

もちろんマイクロフトは弟が横穴に転がり込んでマジでピンピンしてることを既に知っているからこそ頼んだのだろうが、その他の人にとっては「彼は私たちの心に永遠に生き続けている」という故人の美談あるあるとして受け取られている。

にも関わらずハドスン夫人は「ええ、あの人が生きている時のままにしますわ」と返す。
部屋を出るときは何もかも元通りにしてもらうと息巻いていた彼女が、である。

私はこの伏線回収に観劇して随分経ってから気づいた。
散らかった、だけどそこには誰もいないホームズの部屋の埃を静かに払うハドスンさんのことを想いその深い愛情に涙が出そうになった。

まさに大家さんと住人という立場でしか成立しない奇跡のような愛のかたちである。

ホームズが飄々と帰ってきたあかつきにはしっかりとその愛情のこもった拳でホームズをぶん殴って欲しいといつも心から思っている。
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以上、ほんの一部であるがハドスン夫人の魅力について語らせていただいた。
話せば話すほど彼女の可憐さ、清廉さ、愛情深さには驚かされる。

もちろん原作のハドスン夫人も大好きなのでゆっくりと読み進めながらこれから更に解像度が上がっていくことを楽しみにしている。