OREPETE2021

君は俺のペテルブルグを聞いたか。


俺のペテルブルグ、俺ペテ、マイペテ、マペ、マ…
呼び方は諸説あるが、どれも2020年に上演された宝塚歌劇団宙組公演「アナスタシア」の劇中歌のことだ。

舞台「アナスタシア」はロシア革命によって命を落としたロマノフ家の最後の生き残りと言われる末娘アナスタシアを巡る"アナスタシア伝説"を題材に作られたミュージカル作品で、詐欺師の青年ディミトリとアナスタシアによく似た記憶喪失の少女アーニャの愛と冒険の物語だ。

ピュアなラブストーリーであると同時に、アナスタシアの生存を信じずにはいられない祖母のマリア皇后やロマノフ家殺害の際に彼女を取り逃がしたことを責め続けて死んだ軍人の息子グレブさんなど、アナスタシア伝説によって運命が良くも悪くも狂わされた人々の人生が交差していく群像劇でもある。

まるでオルゴールの箱の中のような美しく幻想的な舞台でロシアからパリへ、現在から過去へ、過去から未来へと本当の自分を見つけに行く彼らの旅路。
当時コロナ禍で今以上に先が見えず閉塞していた私に温かな光を灯してくれた宝物のような作品である。

で、俺のペテルブルグだ。

この曲では幼くして両親を亡くし、いわゆるストリートチルドレンとしてたった一人で生きてきた主人公ディミトリが自身が育った街ペテルブルグについて歌っている。

私はこの曲を聞くたびにたまらない気持ちになる。
リアルに三回に一回くらいの頻度で泣く。

中の人は泣く子も黙って恋に落ちるハンサムトップスター真風さんなのでディミトリもそれはそれは大人の魅力に溢れる美しい青年であるが、俺ペテを歌っているときだけは壊れそうなほど繊細で純粋な少年そのものになるのだ。
靴のヒールを入れると180㎝を超えるほどの長身も何故か100㎝くらいに見える。

明日もあるかわからないロシアの路地裏で、がむしゃらに生きた幼い少年ディマ(ディミトリの父親は彼をディマと呼んでいたらしい)(赤の他人だが私も便乗してディマと呼んでいる)の絶望と希望の入り混じるこのナンバーを聞いた人間は皆涙を流しながら我こそはディミトリの母親だ、父親だ、祖父母だと立候補してしまう※のだ
※個人差があります

前置きが長くなったが今回はそんな名曲、俺のペテルブルグの歌詞についてあまりにも言いたいことが多いのでこうしてわざわざはてブをダウンロードした次第である。
歌詞の一語一句に私の想いを吐露していこうと思う。
もう誰も読んでないと思うけど今からエンジンかけるのでよろしくお願い致します。

※これ以降便宜上ディミトリのことをディマと呼ばせていただいております
※すべて一個人の感想になります

それでは早速聞いていきましょう

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「ずるく生きた ペテルブルグの路地裏で 悪知恵つかい ペテルブルグを駆け抜けた」

ずるくないよ!!!!!???!???!(120デシベル)

いやもう一行目から飛行機の騒音レベルのシャウトが必要になるとは思わなかった。ずるく?ないよ??
冬は気温がマイナスを優に下回るペテルブルグで家もない痩せっぽちの少年が歩んだのはひたすら飢えと貧困と戦う日々だったはずだ。彼を生かしていたものはずるさではなく純粋な生存本能だ。
それは悪知恵ではなく生活に必要な知恵だ。私たちが電子レンジで時短料理をするのとなんら変わらない。(追記:なぜか家庭の知恵と比較してしまったがディマの方が五億倍切実だろうと後から気づいた。すみません)
ずるいっていうのは勤務中にトイレで居眠りしたり、外回りの仕事中にコンビニでアイスを買い食いするような大人のことでありディマではないのである。どうかわかって欲しい。

「取引持ちかけ パンを盗み 抜け目のない切れ者さ」

まずここでも大きな勘違いが発生している。ロシアの宝石であるディマと取引をするというのはそれだけで価値が発生する。パンはささやかながら支払われたその対価であるので盗みなどという言葉は出てこないわけだ。
切れ者さ、に至ってはどや顔で自分の頭をトントンと指差しておりこんな赤ちゃんがどうして保護されていないのか首をかしげたくなる。ジャイアントパンダくらい大切にして欲しい。

「ロシアのねずみは賢くなけりゃ 死ぬだけ」

__ディマは死なないわ。私が守るもの__
綾波レイもそう言っている。私もそうだそうだと言っています。

ディマはどこか皮肉混じりに陽気に歌っているが、人を欺き食糧を盗まないと当たり前に死が待っていた人生はあまりにも重い。それに自分をなんの迷いもなくねずみに例えるあたりに本来幼少期に健やかに育まれるべきだった自己肯定感の欠如を感じて悲しくなってしまう。ロシアのブルーアイズホワイトドラゴンくらい自称してもお釣りがくるのに。

「負けるもんか 叫びながら 俺は一人生きた 俺のこの街で」

無理。本当にここだけは文字だけでも無理。目からホームズとモリアーティが落ちてくるレベルの滝が流れてくる。悪いけどお風呂場行ってバスタオル持ってきて貰える?

「ようこそ俺のペテルブルグへ! 来いよアーニャ」

間奏のルンルンでスーパーかわいいディマのターンありがたい…。スコールのような涙を流した後の束の間虹といったところだ。

「見えるだろう 街の隅から隅まで あの桟橋で 偽の土産を売りつけた」

ま~~~た勘違いしてる。ディマが売ってくれたらそれがたとえ石ころでもダイヤモンドなのに。ロシアのねずみは賢いんじゃなかったのかよ。しっかりしてくれよ。

「宮殿見上げて 路地を行く 街の全て 俺のもの」

その通りだよ!!!よく気づいたね!!!!
全部ディマのものだからね!!!!!!!!

「俺のペテルブルグ」の「俺の」は"自分が住んでいる"というより"自分が所有している"という意味合いが強くて、貧しく何も持たないディマがこの街は僕のものだと思いながらメンタルを保っていたと思うと健気すぎて膝から崩れ落ちてしまう。
豪華で立派な宮殿と狭くて暗い路地裏の明暗や、見上げるという言葉からは彼の小さな姿が伝わってくる。短い文章に込められた情景描写が悲しくも美しい。

「許せない街だ」

OK。すぐに爆破するね

「でもこの街が 好きなんだ」

ごめんさっきの嘘。世界遺産に登録するね

アンビバレンツな感情を素直にさらけ出し歌うディマが愛らしすぎて私が産んだ?って思ったしたぶんアーニャもそう思った。ここでみんなディマの一親等を自負したくなる。

「殴り、蹴られ、逃げて」

無理。辛すぎてタイプする指が震えた。
うちのディマになにしとくれとんねん。冷たい独房に永久に投獄されろ。
ディマは守り、愛でて、温かい毛布で包まれる存在なのでどうかそれだけは忘れないでね(ディマへの私信)。

「立ち向かって」

せ、成長してる~~~!!!!!😭😭😭

ここの歌詞の流れはディマの肉体的、精神的な成長を物語っており月日の経過を感じさせられる。少年時代の回想シーンは終わり、この先は現在の青年ディミトリの描写に繋がっていく。
私もこのあたりから最早母親というか祖母くらいの目線でディマを見ている。老いた。

「俺は一人生きた」

俺は一人生きたリプライズ。泣いた。
これは物語終盤のネタバレになるがディマは割と最後まで一人生きることを自ら選択してしまうところがあるので本当に心配である。
ディマがアイドルだったらディマ♡一人で生きないで♡って書いたうちわを振り回していた(ディマはアイドルではありません)

「"なんでも出来る お前次第" 親父から学んだことだ」

アナスタシアにおける裏テーマ?は父子の物語であると個人的には思っている。
父親との温かい思い出を笑顔で語るディマと父親の自責の念を苦しそうに話すグレブさんは一見対称的であるが、彼らの歪な自己肯定感や父親を愛するが故に盲目的に信じる様子はそっくりだ。

ディマとグレブさんの父親達がどのような人物であったかは知るよしもないが、二人にとって人生観を丸ごと植えつけるようなシンボリックな存在であった割には息子達に注いだ時間が余りにも短すぎる。
それは激動のロシアの最前線で戦っていた大人達には与えられなかった時間なのだとは思うが、私はディマとグレブさん依怙贔屓妖怪なので時代も含めて彼らの親にはかなり複雑な感情を抱いている。

話が逸れてしまったがディマの親父さんにはこの歌詞のような教訓をもっと長く時間をかけて息子に体現してあげて欲しかった。

「縛るものはなにもない 俺は俺のもの」

その通りだよ!!!!だからもっと自由に生きて!!!!
言葉ではわかってるんですようちのディマは賢いので…でも彼にはこれからはもっと自分を愛して自分の幸せを優先して生きて欲しい、そう祖母は思っております。

「その気になりゃ 空の果てでも行けるさ」

私が大富豪だったら自家製ジャンボ機でフライアウェイしてあげてた。悔しい。

「壁を見上げ、登れ 時が来れば飛べる」

がわいい~~~!!暴れた。
俺ペテはポップなメロディーの割につらい回想シーンが多く聞いてるこちらも胸が締めつけられるが、後半の希望が満ちた歌詞に救われる。
壮絶な生い立ちの中でも前向きな気持ちを失わないディマの奇跡のようなピュアさに両手を合わせて涙を流すしない。
ここでアーニャが寄り添うように歌ってくれるのも本当に愛しい。

「だけど今は 見て欲しい」

見るよ~~~!!600年でも1000年でも見るよ~~~!!!任せて!!!!!!!

「俺の この街を」

街をか~~~い!!!!!後出しやめて貰える!!???
ごめんそうとは知らずめちゃくちゃディマを見てたわ。ディマもさすがにこいつめっちゃ見てくるやんって気づいてそっと訂正してくれたのか。優しい…怖い思いさせてごめんね。

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モンペの語りは以上(異常)である。
母親面や祖母面をして長々と語ってしまったが私はペアレントどころか全くもって彼の人生に関わりのない赤の他人なのでモンペではなくシンプルにモンスターだということに気づいた。

ディマにはペテルブルグから遠く離れた日本の片隅にこんな巨大感情を抱きディマの幸せをひたすら祈っているモンスターがいるということを全く知らないまま好きなように生きて欲しいと願う。